MEN’S 2019.06.17

101ストーリー「ミュージシャンが語るスタンダード 」
Vol.06 Daniel Wang

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LEE(リー)の元祖モデル『101』を現代に伝えていくファッションストーリー。
さまざまな価値観が混在する今、そんな原点的なモデルをスタンダードと所縁の強いミュージ
シャンに着こなしてもらうとともに、“バンドの核=スタンダード”について再考。
彼らの紡ぎ出す音楽は、どんなことがベースとなり生まれたものなのか。昔から大切にしてい
る原点に立ち返りながら紐解いていきたい。
第6回目は、ディスコミュージックのDJとしてドイツ・ベルリンを拠点に活動し、その独特なパフォーマンスでフロアをハッピーな雰囲気に包み込むDaniel Wang(ダニエル・ワン)が登場。
ディスコDJとしてのこれまでのキャリアや、毎年訪れている東京についての印象、さらにはこれからの活動についてを、たっぷりと語ってもらった。

Photo:Shota Kikuchi | Styling:Hisataka Takezaki | Hair&Make-up:Kohei Domoto | Model:Daniel Wang | Text:Yuzo Takeishi | Edit:Atsushi Hasebe | Special Thanks:PRIMITIVE INC.

昔のハウスやディスコ音楽のエモーショナルな部分に惹かれたんだ。

Daniel Wangのプレイはどこかノスタルジックな雰囲気を漂わせながら、フロアをたくさんの笑顔で染め上げていく。それは、毎年開催される『DISCO! DISCO!! DISCO!!!』が”虹色のパーティー”と形容されていることからも明らかだ。そんな、多幸感に包まれるパーティーの雰囲気は彼自身のパーソナリティーともシンクロしているようで、実際、今回の撮影では終始笑顔を絶やさず、スタッフとともに現場を楽しむ姿が印象的だった。最高にハッピーな空間を作り出すDaniel WangというディスコDJについて知るべく、まずは彼の生い立ちから話を聞いていこう。

—初めてDanielさんを知る人もいると思うので、まずはキャリアについて教えてください。

Daniel Wang(以下、Daniel):僕が生まれたのはアメリカ・カリフォルニア。両親は1950年代から1960年代、つまりベトナム戦争時代に中国から台湾、香港、そしてカリフォルニアに移住した移民なんだ。家族にはこういったアートの分野に関わっている人はいなかったけれど、僕は子どもの頃から歌うことや踊ることが好きだった。やがて、シカゴの大学で研究員だったときには、毎週末になると宿題をやらないでクラブで遊んでいたよ。シカゴはブルースが生まれた場所だし、ハウスミュージック発祥の地でもあるからね。その当時は音楽を仕事にするなんて考えてもいなかったけれど、自分の人生を考えたとき、やはり自分の夢を追ってニューヨークに引っ越して、DJか何かをしようと思ったんだ。

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春夏の軽やかな印象のアイテムには、ワンウォッシュの『101Z』がよく映える。
AMERICAN RIDERS 101Z(LM5101-400)12,000円、balのシャツ 15,000円、HACKNEY CARRIERSのバングル 46,000円、EYEVAN 7285のサングラス 58,000円、Parabootのレザーシューズ 60,000円

—それは研究員のときですか?

Daniel:大学を出てからだね。1993年だったと思う。ニューヨークに引っ越してから、まず自分が好きなレコードを作ったDJやプロデューサーを訪ねた。「この音楽は僕でも作れるのか?」「どうやってDJの世界に入ったのか?」って。当時はインターネットがなかったし、しかもダンスミュージックはニューヨークにしかなかったから、絶対にこの街にいる必要があったんだ。それでもまだDJを仕事にできるとは思っていなくて、その頃は、クロサワ楽器のニューヨーク支店でシンセサイザーやギターを販売したり、修理したりしていたよ。すると、だんだんシンセサイザーの知識がついてきて「この知識があるのに、一生ここで店員でもないだろう」と思い始めて……。もう、その頃にはレコードも2〜3枚作っていたし、1997年には初めて東京に来て渋谷のLOOPで回したり、1998年にはロンドンに行くチャンスもあったりしたから。つまり、自分の人生を選択するタイミングだったんだよね。そうして、2000年に本格的にDJとしてのキャリアをスタートさせたんだ。

—1997年に日本に来たとき、DJは仕事ではなかったのですか?

Daniel:仕事なんて思っていなかったよ。「ついに、日本に遊びに行ける!」と思いながらレコードを持っていった感じ(笑)。その頃はニューヨークでもたまにDJをしていたからね。でも、クラブシーンはそれほど大きくなかったし、僕が興味を持っていたのはディスコミュージックとか、もっとメロディーのある音楽だった。当時、Danny Krivit(ダニー・クリビット)とかFrancois K.(フランソワ・K)が、昔のハウスミュージックとかディスコミュージックだけのパーティーをときどき開いていて、それがいちばん楽しかったことを覚えているよ。アフリカン・アメリカンの友達と知り合って、ダンスの歴史や意味を勉強させてもらったのもこの頃。決して懐古趣味というわけではなくて、その時代の音楽の内容やエモーショナルな部分に惹かれていたんだと思うよ。

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—ご自身のレーベルであるBalihuを立ち上げたのはいつですか?

Daniel:これも1993年。その年にFrankie Knuckles(フランキー・ナックルズ)のリユニオンパーティーがあったんだけれど、それは本当に素晴らしい経験だったね。黒人も白人も関係なく、一緒になって踊っていたし、ミックスもスムーズだった。でも、何よりいちばん感動的だったのは、彼がかけていたソウルミュージックやディスコミュージックが、みんなで歌ったり踊ったりできるエモーショナルな音楽だったこと。そんな彼のプレイにインスパイアされて、1993年に最初のレコードを作ったんだ。きっと誰も知らないであろうさまざまなサンプルを、レゴのように組み立てていったことを覚えているよ。このレコードは、自分がこれだけの音楽の知識を持っていて、こんなムードのパーティーができるということをDJに知ってもらうためのステートメントみたいなものだったんだ。

—現在はベルリンを拠点にしていますが、移り住んでからどれくらいになるのでしょうか?

Daniel:2003年にベルリンに引っ越したから16年だね。実はニューヨークの話と関係があって、移住する2年前に”9.11(アメリカ同時多発テロ)”が起こったんだ。今、ベルリンの有名なテクノクラブでBerghain(ベルグハイン)があるけれど、そこは当時Ostgut(オストグット)というクラブだった。僕はそこで2001年の9月9日にプレイしたんだけれど、翌日にニューヨークに帰る直前、ベルリンの友達が「アメリカは今、政府がよくないから、いずれ悪いことが起きるよ。それに、ダニエルは才能があるけれど、ニューヨークにいたのでは夢は実現できないかもしれないから、ベルリンに引っ越してはどうだい?」って助言してくれたんだ。予言みたいだよね。2001年、テロはたしかに怖かったけれど、その後のニューヨークはナイトクラブも保守的になったし、住んでいる人たちのプライオリティも変わってしまった。移住を考えたのは、それがきっかけだね。当時のベルリンは家賃も安かったし、ゲイの生活も、社会の雰囲気も自由だった。だから、楽器、本、レコード、すべてをまとめて引っ越したんだ。その頃はベルリンのクラブなんて10軒もない、小さなシーンだった。だから移住してすぐ、すべてのDJとも知り合えたしね。でも何より、もっとオープンに自分の可能性を試してみたかったんだよ。

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東京はいちばん楽しみな場所。お客さんはみんな無邪気だしね。

5月18日(土)には東京・渋谷のContactで『DISCO! DISCO!! DISCO!!!』が行われた。毎年恒例となっているパーティーで、今年で7年目を迎えるが、このほかにも世界各地で活動するDaniel Wangにとって、東京のシーンはどのように映っているのだろうか。

—今日、着ていただいたのはLeeの『101』というジーンズのスタンダードなのですが……。

Daniel:好きですよ。人はやっぱりパンツを穿くべきですよね(笑)。

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クラシックなアイテムにはリジッドの『101Z』を合わせて、より大人っぽい印象に。
AMERICAN RIDERS 101Z(LM5101-500)12,000円、JUHAのカーディガン 30,000円、ATELIER BETONのシャツ 25,000円、ptarmiganのブーツ 29,000円

—これにちなんで”スタンダード”がインタビューのテーマなのですが、Danielさんにとってスタンダードな音楽はどういうものですか?

Daniel:ダンスミュージックならディスコだよね。4つ打ちのリズムは、どんな音楽よりも楽しいからね。でも、僕にとってのスタンダードはディスコだけではないんだ。違った踊り方のジャンルならボサノヴァも好きだし、ラテン系の音楽はもっと面白い。そのなかでも、ディスコミュージックっていちばんベーシックなビートだから踊りやすいんだ。ビートが複雑になればなるほどエクスクルーシヴになって、大勢が楽しめなくなってつまらなくなっちゃうしね。

—普段のファッションについて聞かせてください。

Daniel:ベルリンの人たちって、みんな地味なんですよ。でも、それも理由があって、ドイツではあまり自分の個性を主張しないから。通常はファッションを通じて自分の個性を主張したいと考えるけれど、一緒にいる人たちと競争する意志がなければ服装で表現する必要もないからね。だから、僕もドイツの人たちと同じく、普段は地味。いつも、ブラックとグレーとネイビーを着ているよ。ベルリンは東京と比べると小さな街。「目立たなければいい」っていう考え方だし、目立つ必要もないからね。だからむしろ、デニムはいつも穿いているよ。

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—『DISCO! DISCO!! DISCO!!!』が5月18日と目前に迫ってきました。(注:取材日は5月10日)

Daniel:正直に言うと、いつも楽しいんだけれど、最近はプレッシャーを感じているね。音楽のフォーマットはそんなに変わっていないので、どうやったらお客さんが喜んでくれるんだろう……って。本当は、毎回いろいろと変えてみたいけれどね。むしろ“If it’s not broke, don’t fix it(壊れていなければ、直さなくていい)”っていう感じかな。もちろん、いつも同じパーティーはやらないけれど、ある程度、同じ雰囲気は守りたいからね。

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—ヨーロッパでDJをやるときと、東京でずっと続けているこのパーティーでは、お客さんやフロアの雰囲気は違いますか?

Daniel:アフリカを除いて、主要な国ではDJをやっているけれど、それぞれの国ごとに個性が違うんだ。それは社会全体の雰囲気とか、政治にも当てはまってくるものだね。例えば、スカンジナビアのクラブシーンは社会と同じで、みんな礼儀を守っているし、スタイルもしっかりと持っている。一方でスウェーデンのお客さんはみんなタトゥーを入れていて、クラブではクレイジーになるとかね。イタリアもクレイジーだけどリズム感がいいとか。フランスはアフリカからの移民が多い国で、ニューヨークに似ている。黒人も白人もいい人たちで、ダンスと4つ打ちの音楽の規則もなんとなく分かってくれている感じ。

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ベーシックなストレートシルエットの『101Z』は、クリーンな着こなしにも向いている。
AMERICAN RIDERS 101Z(LM5101-400)12,000円、KICS DOCUMENT.のシャツ 24,000円、ayameのメガネ 30,000円、Parabootのレザーシューズ 65,000円

—一方の東京はどんな印象ですか?

Daniel:僕も東洋人だからという理由もあるけれど、東京はいちばん楽しみにしている場所。最近は世界中どこでも友達と一緒に踊らないでDJだけを見ているんだ。僕はそれがとても嫌いで、いつも「DJ崇拝禁止」とか「DJを見つめないでください」「一緒に踊ってください」って書いた看板を掲げてるけれど、日本のお客さんはそのサインを見て、みんな一緒に踊ってくれるからね。逆にドイツでは、裸になってフロアの隣でオープンにSEXをしているけれど、それと比べると日本はみんな無邪気だよね。

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—今後の活動について教えてください。しばらくリリースがありませんが、レコードを作る予定はありますか?

Daniel:2年前に住んでいるマンションを改築して機材を搬入し、音楽のソフトウェアもインストールしてようやく自分のスタジオを作ったんだ。僕は今年で50歳だからずいぶんと遅くなってしまったけれど、ついに自分の音楽を作る完璧な環境が実現したよ。友達のSpiller(スピラー)──2000年に”Groovejet”でビッグヒットを飛ばしたDJなんだけれど、彼に手伝ってもらって、レコードは今年の6月から7月にはリリースされる予定だよ。このなかには「ダンスフロアをもっとオープンにして、商業化されないよう、ダンスミュージックの元に戻っていこうよ」という真面目なメッセージも入れたりしてね。

—今回はご自身の名前でリリースするのですか?

Daniel:そう、Daniel Wangの名前でリリースするから、今回は絶対に失敗できない。もちろん自信はあるけどね。ベルリンに引っ越してから16年。いよいよ、本当に自分が好きなことに集中できるようになったんだ。

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Daniel Wang
ダブ・ハウス系のムーブメントと共に再評価されたレーベル、Balihu Recordsのオーナーであり、ディスコ・ダブ・サウンドのオリジネーター。1980年代より、一貫した完全オリジナルのディスコ世界を追求し続け、ディスコへの偏愛と、DJの域を越えたパフォーマンスでダンスフロアを笑顔でいっぱいにする唯一無二のアーティスト。レアなディスコ・サンプルがふんだんに盛り込まれている不朽の名作”Like some dream(I can’t stop dreaming)”を筆頭に、数々の名曲を世に送り出している。

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